家庭礼拝の恵み

本来であれば毎週教会で行われている礼拝は、神を信じる者たちが、み言葉による祝福の約束、特にイエス・キリストにおいて実現した救いの出来事を記念し、賛美と感謝と祈りを通して、神の子としての霊的生命に与るものです。また神の前で信仰を告白する礼拝は、すべての人に対して神の救いを証しする宣教でもあります。

しかし今、コロナウイルス感染防止対策として、教会の公的礼拝が休止しています。
神と神の民である共同体の公的な交わり、集会行為ができない今、私たちは各家庭での家庭礼拝をお願いしています。

家庭礼拝とは、個人や家族が家庭において行う礼拝を言います。自分一人の場合は落ち着ける時間と場所で、家族が何人かおられる場合は、共に集まれる時間と場所で、自由に神のみ言葉に聞き、祈り、賛美して神との交わりを深める時です。お好きな賛美歌を歌い、聖書を輪読したり、担当を決めて祈ったりできれば望ましいことです。
初代教会の多くはこうした家庭礼拝から始まりました。
改革者ルターは、特に家庭礼拝を重んじ、彼が作った独語訳聖書、賛美歌、小教理問答などは、信仰の維持と成長に大きな役割を果たしたといわれています。

このように、教会であれ家庭であれ、礼拝というのは、絶対者である神に対して、人間が崇敬の念を表わす一切の行為をいいます。
ですからある意味では神を信じる人の生活全体が礼拝だとも言えます。
パウロはこのように語っています。
「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなた方のなすべき礼拝です。」(ローマの信徒への手紙12章1節)

またイエスは、礼拝する場所にこだわっていたサマリアの女に対して言われました。
「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネによる福音書4章24節)
つまり、まことの礼拝は場所や時間に制約されず、そこに集まる人々の性別や社会的立場の違いをも超えて行われる自由で豊かなものなのです。
苦しくて辛いコロナウイルス感染状況ですが、その副産物として、個人や家庭での礼拝、神との静思の時が持てるとしたら、それは素晴らしい恵みだと思います。

(牧師 常廣澄子)